2月15日(月)

なんとなく学校へ職場へ向かいたくないという気持ちがあったのか、今日は普通に寝坊してしまった。まあちゃんとアラームを設定していなかったというのが直接的な原因ではあるが、そもそもアラームを設定する気にもなれなかった。まあ私の休日というのは、往々にして何の身体的運動も伴わないものになりがちで、それと連動して頭も何にも動いてくれなくなってしまうので、どこかで思考を停止してしまったのかもしれない。やはり運動はすべきだと今こうして日記を書きながら思うのだが、自分がスポーツの世界でそれなりの立場に一度立ってしまったということもあり、運動することへのハードルがとても高い。あとは運動するための服や靴がない。まあ買えばいいのだが、己の三日坊主さをよく自分でも理解できているので、そんなものを買ってもおそらく無駄金になることが見えているので、買うつもりにもなれない。

とはいえ、こうやって進歩することを止めてしまうのは悲しいので、休日でも動こう。もう走ることは自分の中であまりにもハードルが高くなってしまっているので、どこかに車を飛ばして歩くことから始めたい。特に最近は学校でも授業をほとんどしていないので、立つことすらほとんどない。段々と体が弛んできている。他の人はともかく、私はおそらく体のシャープさと頭のそれは比例するものだと信じている。ここ数日で瞑想的な暗示の方法を修得しつつあるので、面倒くさいという感情に振り回されず、職場の散歩なども積極的に行いたい。

今日はやはり職場がうるさかった。明日はさらにうるさくなるだろう。とりあえず明日からは講座が連発してあるので、それに自分が押しつぶされてしまわないように、用意周到に臨まなければならない。あとは定期考査一週間前である。最近はあまり問題を作っていないのでかなり作問能力に衰えがきているのでは、というどころか、そもそも授業すらまともにやっていないので、世界史の力が衰えつつあるように感じる。今日はなんとなく今年の関西学院の問題を解いてみたが、つまらないミスが少々あった以外はなんとか正解できた。で、問題を解いたり、問題文をしっかりと読むことによって、まだまだ自分の知らない知識と出会うことができた。自分の教科能力を衰えさせないためにも、「現代文と格闘する」が終われば、東大の世界史などにも取り組んで、どこに出ても恥ずかしくない教科力を持っていきたい。

別に今の職場がハッキリと嫌だというわけではないが、もう泥舟であることは間違いなかろう。優秀な人からどんどん逃げていっている。最悪の事態になって、逃げ出さなければならなくなった時、そこで自分がこの職場のみに適応した人間ならば、もうどうすることもできない。最後に信用できるのは結局自分しかいない。今はなかなか難しいが、自分が苦手とする外部との繋がりというのも真剣に考えていかねばならないのかもしれない。

とはいえ、今はそこまでの大それたことをしている余裕は一切ないので、まずはある程度空いた時間の中で自分ができることをやっていく。それのみだ。一日一日、少しでも成長できるように。そして、それを記録することを怠らぬように。

2月14日(日)

日曜日なのにも関わらず気が休まらなかった。こうやって日記を書くのも怠い。こうやって卒業まであと僅かなのにもかかわらず、こうやって波乱を巻き起こされるのは大変だ。相手側が何を考えているのかは私自身も分かりかねるが、直接的に攻撃されるよりも、下手から申し訳なさそうな顔して来られる方が色々と対処しづらい。他の方々にも色々と迷惑をかけているのも精神的に参ってしまう。自分のメンタルが弱いことが不可ないのだが、他の人に迷惑をかけている身分でありながら、転職すらも考えてしまった。というより、最近は他にもやりたいことがたくさんあったのに、そのことで頭がいっぱいになってしまって、動きが制約されていることがすごくストレスだ。特に昨日はそれなりに自分の中では充実した勉強ができていただけに、無駄に一日が流れてしまったことが悲しい。

こういうときにパートナーの存在を欲してしまう。とはいえ今は特に何の兆しもなく、このままだと枯れ果てる方向に突き進んでしまう。枯れ果てるのはともかく、今の自分には何か特別な魅力がないので、少しはまともな人間になれるように精進していくのみだ。

2月11日(木)

気づいたら日記を書かないまま5日間ほど経ってしまった。

何の反省もせずに1日を過ごしているので、えらく1日の経過が早い。といっても、最近はそれでもそこまで忙しくないので、少しは心の余裕が作ることができているのではないかと思う。ただし、朝が弱いので、出だしが失敗すると、それを引きずった情けない1日になってしまう。陸上の試合でもそうだったが、スタートに出遅れてしまうと、途中から巻き返すのにはかなりのエネルギーが必要になる。スタートをうまく切れるように、前日の夜から出来る限りの準備をしていくということが重要だ。

記録を怠るようになると、どうしても反省もなくなる。なぜ記録を怠るのかというと、記録媒体をアクセスしやすいところに置いていないからだ。Onenoteにしても横に固定しておくのは何かに集中する上では邪魔になってしまうが、集中した作業以外は横に固定しておいて、自分が何をすべきなのかということを常に意識させたい。私はすぐに忘れてしまう。これを自覚しなければならない。そのために今様々な仕掛けを試みているのだ。

生徒指導面で多少のトラブルがあった。今の学校関連のニュースを見ていると、いつか自分も加害者として扱われることもあるのだろうな薄々感じてはいたが、それにしてもあまり気持ちの良くないタイミングだ。教員としての叱責というよりも、一人の人間としての正義の怒りを感情のままに発散してしまったというところはプロ意識の欠如として反省すべき点であり、ただでさえ忙しい上層部をさらに忙しくさせる要因を作り出してしまったという点において非常に申し訳なく感じる。指導方法についても、いわゆる「2020年代的な」価値観においては、不適切という指摘もなされると思う。とはいえ、指導内容について問題点があったかというと、今回においてはハッキリなかったと断言できる。私は私のすべき職務を遂行したのみであり、問題は当該生徒がいかに指導内容を理解し、それを言動として示すことができるかどうかのみである。私の言動が適切か不適切かどうかを論じること自体がナンセンスである、とまで感じている。もちろん私も人の子であるので、間違った指導を行ってしまったことは何度かあるし、それについては謝罪した上で反省をしている。自分自身が完璧な人間であるということはつゆほども思っていない。しかし、今回については譲ることができない。これ以上保護者が指導にケチをつけてくるようであれば、その保護者が指導される要因を生み出している(いた)ということを申し上げる必要があると思う。つまり、今回のケースについては、保護者が当該生徒に対して、適切な躾をすることができていなかったということである。そのような躾もろくにされていない者が、矩を踰えてしまったことが今回の問題である。

あとはろくに添削ができていないので、そこを手際よく処理していかねばならない。でなければ、どんどんと添削書類が溜まっていくのみだ。これぐらいの人数で手間取っていたら、他の先生に対して全く示しがつかない。少しぐらいは役に立つ人間になれるように、自分の範疇で済んでしまう仕事以外にも手出しができるように、まずは自分の仕事を手際よくこなせるようになりたい。そのためには今は自宅での時間をどう過ごすかが大きな問題だ。まずはデスクを片付けることによって、目の前をスッキリさせて、仕事に気持ちよく取り組める環境を作らねばならない。これは自宅だけでなくて、職場でも同じだ。今はそれなりに時間がある。そして、大体この3年間でやるべき仕事は見えてきた。だからこそ、やるべきタスクに最適化された環境を作り出したい。それで他の人に貢献できたら、それが結局は自分が気持ちよく過ごすことのできることにつながっていく。

あとは手がかなり治ってきたのが喜ばしい。今までは手のことが大きなストレッサーになっていたので、何ヶ月かぶりに手袋もせずに人前に出れるようになったことは大きな進歩である。この状態を維持できるように、ケアをこまめにやっていきたいし、そのためには心の余裕と適切な時間管理が必要である。

全ては自分がやるべきことが常に見えているかどうかに集約される。逃げずに向き合おう。

2月6日(土)

なんとなく気分が悪い。文章を書きたいという気分ではない。カントリーマアムを馬鹿食いしたのがよくなかった。

相変わらず頭は晴れない。ちゃんとした睡眠が取れていない。とりあえず今日はあまり文章を書かずに済ませて、早めに寝ることを心がけようと思う。まあ現時点で早くもないのだが。

神戸大特別クラスについてのロードマップが全然描けていないことが今の自分の一番大きなストレスだ。あとは記録をしようと午前中に頑張っても結局昼食食べたあとあたりから、色んなものがなあなあになってしまっている気がする。特に今日は保護者会もあって、イレギュラーな動きになったので余計その度合いが増してしまったのかも知れないが、少し意識が保てなかった。ただ、業務中でも文章を書いて、自分の意識を確かめようとすることはできた。それができたことによって、特別クラスを始める上での致命的な失敗は犯すことなくできたのではないかと考えている。

とりあえず今日は早く寝れるようにしよう。

2月5日(金)

いつの間にやら2月も5日が経ってしまっていた。最近は自分が睡眠障害ではないかと疑うほどに睡眠の質が悪い。そもそも生活が崩壊してしまっている自分自身に様々な原因があるのは自覚はしているが、それにしても全く朝が起きられない。時間の経過の仕方が少し異常だ。少し油断するとゴッソリ無くなってしまう。何も考えていないというわけではないはずなのだが、やはり恒常的に文章を書くということを辞めてしまうと、頭の中は真っ白になってしまう。ここ数年間は頭真っ白の状態に慣れてしまっていたので、ストレスは感じつつもそこまで不自由さは感じなくなってしまっていたが、今年に入ってから文章を書くということを意識し始めて、逆に文章を書かないとその落差というものを痛烈に感じるようになった。

最近キャラメルラテを飲み始めて、それにカフェインが入っているということもあって、徐々にカフェイン中毒が戻りつつある。カフェインを飲まないと頭痛がしてしまうということもそうだが、午前中カフェインが体内で機能するまで超絶不機嫌な状態になってしまうというのがかなりのデメリットである。昔のようにブラックコーヒーをがぶ飲みするというほどでもないので、昔ほどではないと信じたいのだが、飲まないとやってられないというのは立派な中毒だ。今はキャラメルラテの味が好きなのでなかなか逃げることはできないが、暖かい季節になったら徐々にノンカフェインに移行していこうとは考えている。

あとはPMTMが徐々に崩壊している。特に様々な不用意な仕事が降りかかってくると、記録がどうしても疎かになりがちである。しかし、これが何よりも自分の甘さである。記録はしなければならない。この日記にしても、眠たくてもやはり記録しなければならない。ではなければ、振り返るための材料がなくなる。書かなければ、この自分の中の心のゴミが溜まっていって、それを見てうんざりしなければいけなくなる。睡眠は身体的に頭のゴミを取り除いてくれるものだが、これは精神的なゴミを取り除く作業だ。睡眠も何よりも重要な作業であるが、まずは精神的なゴミをきちんと処理した上で、睡眠への準備を進めたい。

あとは神大特別クラスにしても、かなりの思いつきで全ての物事を進めてしまっている。これから自分がどのような仕事を与えられるのかはわからないが、どうせ管理職のような立場にいずれはなってしまうのだろう。その時にやはり大事なのはロードマップを示すということである。どのようなことをやらなければいけないのかを提示して、他の人に素直に協力を申し出たい。

色々と述べたが、やはり自分の中で大きなストレスとなっていたのは、この記録がきちんと毎日できていなかったということである。今日久しぶりにきちんと日記をつけることができて、大分気が落ち着いたと感じる。私にとって眠気とは大いなる敵ではあるが、同時に私にとってかけがえのないパートナーでもある。瞑想や睡眠アプリなどを駆使して付き合っていくしかない。睡眠に振り回されるのではなくて、自分で意識的にコントロールできることを目指して。

1月31日(土)

昨日に引き続きできるだけ記録をしながら仕事を進めようと思っていたが、歌録りという困難な仕事もあって、うまく記録ができていない。それでリズムが崩れたということもあってか、なかなかぼんやりしたまま半日を終えてしまった。こうやって今寝る前に日記を書いているが、朝これから何をすべきかということを考える上で、もう一度ブログなりを確認して、文章を書いていく方が自分の進むべき道が見えるのではないかと思う。

調査書の発行については大体の業務が終わり、後は2人を残すのみである。月曜日には決め打たなければ、正直間に合わない。残り2人については、月曜日に必ず話をする必要があるだろう。また、もう一人何の報告もなかったおバカちゃんがいるので、これから人間としてやるべきことをしっかり叩き込む必要があるように思われる。

帰宅してからは相変わらずぼんやりしていた。手指の調子が最悪の状態のままだが、今日の朝たまたま家にあった絆創膏が薄くて手袋してても捲れなさそうな感じなので、これと包帯を組み合わせて、まずは手指の傷を治癒して、今最大のストレスを少しでも緩和させたい。ただ、指にかまっていると、なんとなく手の他の部分もマシになってきた感じがしなくもないので、休みなどを利用して丁寧に扱っていきたいということと、手指がマシになったらステロイドを上手に利用しながら、他の部位へのアプローチもしていきたい。

今週から少しPMをし始めて、結局自分のための勉強というのが全然できていなかったが、ようやく今日富田の英文読解に取り組むことができた。初歩のSTEP1ですらまともに解けていなかったので、まだまだ自分の頭の使い方には甘いところがあるのだなあと感じさせられた。だからこそ、これを日常的にしていくことで思考力が身につくのではないかと思うし、少しでもスマートな理想の自分へ近づいていこう。後は『現代文と格闘する』を職場に置いてきてしまって、また明日にでも取りに行かねばならないが、それも自分にとっては力をつける上でやっておきたい問題集だし、後は純粋に自らの教科力を伸ばすためにもそろそろ東大世界史にもチャレンジしていきたいなと思い始めている。今日久しぶりに自分のための勉強をやってみて、なんとなくこれでやっていけそうだなというのは見えてきたので、昨日も書いたが、自分にとって何がプラスなのかということを選択しながら、理想の自分を形作っていきたい。

今日は久しぶりに復習で思い起こしたことがあって、関係代名詞と関係副詞。受験生時代はイマイチそのネーミングに納得がいかないまま、というかほとんどその違いにも気を配らないまま突き進んでしまったが、今更になってようやくその名付けの理由に納得がいったし、だからこそ2つの違いも腑に落ちた。まだ学ぶべきことたくさんあるし、この職業を続けるのならば、こうした学びはどこかで活かされるだろう。明日の日曜日も自分を強くするため、積極的にチャレンジをしよう。

1月29日(金)

もう毎日の如く、このようなことを書くハメになっているような気がするが、一日が早い。最近は文章でこうやって一日を振り返るようになって、より強くそれを感じるようになって、今日はそれを可視化できるようにOnenoteを活用してみた。今日は途中で惰眠を貪ってしまったというミスがあったが、それを除いても、かなり無駄な部分が多かった。特に動画に使ってしまう時間が多く、「あとこれだけ見ておきたい……」というのが延々と続いて終わらず、気づいたらごっそり時間が失われていた。基本的にその動画を見なければマズイということはない。最近はどうしても坂道に心を奪われてしまっているが、実際大学卒業後の3〜4年間はその欲望を抑制することができていたわけだし、これから自分がどのように考えるか次第でそうした無駄な時間というのは、少しは減らすことができるのではないかと思う。あとは、この時間から何があろうとこれをするというスタート時刻を定めて、そこからは動画や音楽とは無縁で過ごすということを決断せねばならない。よほどの単純作業であれば、音楽を流しながらでも特に支障はないのかもしれないが、やはり私が行わなければならないような仕事というのは基本的には集中力が必要で、音楽を聴いている場合ではない。聞くとしても雨音。今ここにそれを書いたので、あとはそれを納得した上で自分の中で行動できるか。

今日のミスは、やはり自分の確認不足に起因する。少し確認すれば一瞬で解決していたもので、たった数十秒を怠ってしまったが故に、何時間もの損失を生み出してしまった。反省のために何が起きたのか記述する。今日14:00に散髪を予約したが、何を勘違いしたのか12:00からだと思って現地に赴いて、14:00からですよと言われてすごすごと引き下がった。とりあえずお昼時だったので家で昼食を食べて、外が風がかなり強く寒かったので、もう一回散髪に行くのも大変だなあと考えて、色々面倒くさくなって少し休もうと思って昼寝したら、結局14:15ぐらいになってしまっていた。そこからは自責の念というか、自分の愚かさに絶望して、ダラダラとしてしまい、結局学校に復帰できたのは16:00頃になってしまった。本来ならあと3時間ほど色々と仕事に時間を使えたはずなのに、よくわからない時間が流れてしまった。こうした積み重ねが今の自分を形成している。

卒業生へのコメントを昨日書き上げて、その中でリンカン大統領が言ったとされる「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」を一つのキーワードとして取り上げたが、そのまま自分にも返ってくる言葉だ。リンカンは40歳と言ったみたいだが、今考えてみると時代はもっと速く動いているような気がしていて、このご時世においては、30代前半ではなんとなく人間としての価値のようなものが顔やオーラとして暴露されてしまうのではなかろうか。

一つ一つの行動が自分の顔に跳ね返ってくる。生来のビジュアルとしてはあまり褒められたものではないが、一つ一つの皺が深みのあるものになるように、正しい決断をしていきたい。