1月10日(月)

何となく文章を書いてみたくなった。

今の職業において、まともに文章を書くことはあんまりない。書くとしても無機質な報告書か忖度に塗れたレポートぐらいだ。自分の思いを論理的に積み上げるということがなくなってしまった。助詞や接続詞を気にしながら、文章の美しさを吟味しながら、そうやって文章と格闘することは無くなってしまった。

そもそも文章として表現したいことも特段ない。怒りや苛立ちは相変わらず日常生活を支配しているが、その怒りや苛立ちは日常に組み込まれてしまい、文章を書く動機になるほどの強さを持つことはない。何か自分がこれを成し遂げたいと思うこともない。正確に言うと、何かを成し遂げたいと思いたいとは思っていえるが、何を成し遂げればいいのか皆目見当がつかない。

恐怖はある。このまま特に何も成し遂げずに老いて死んでしまうのではないかという恐怖。自らの悪事を密告されてしまうのではないかという恐怖。恨みのために危害を加えられるのではないかという恐怖。恐怖するタネを自分がばら撒いているのが結局悪いのだが。とりあえず何となく怯えながら生活していることは確かだ。恐怖はやはり一番自分にとっては嫌な感情であることは間違いなく、これから逃れるために時間が経つことを待ってしまう。そのために、何もしない無為の時間が休日は多くなってしまう。

カネの心配もある。毎月のように大きな赤字を生み出してしまうのが不思議で、今月から改めて家計簿をつけ始めた。今まで、というか特にここ数ヶ月は給料がどれぐらいかも特に考えずに欲しいものは買ってきていた。家計簿をつけることによって、ここ数ヶ月の自分が恐ろしくなった。1月もまだ3分の1ぐらいしか終わっていないが、すでに黒字化達成の見込みはない。天引きで落とされている貯金を引っ張り出す必要があるし、そこから少しは投資に回して殖やすことを考えていかねばなるまい。今のところは50万ほど引っ張り出して、30万ぐらいを投資に回そうかと考えている。種銭として少ないことは重々承知しているが、まあ仕方あるまい。但し気をつけないといけないのは、車検と保険である。保険は3月のボーナスで何とか賄えるとして、車検はどれぐらいかかるのかが読めない。前回のように20万近く取られるのでは、とても持たない。

今まで投資に薄っすら興味はあったものの、忙しさに感けて逃げてばかりいた。そろそろ30歳になる。流されることが自分の人生のモットーとでも考えていたが、そろそろ流されることにも不満が出てきた。逞しさというべきものを身につけるためにも、敢えて激流の中で踏ん張ってみたいし、それには考えるということが必要だ。車検がどうなるか、それ次第によって、投資に対して動き出してみたいと思う。

 

何かを文章として残したいという気持ちはある。しかし、その何かがわからない。世界史についてなのか、政治哲学についてなのか、教育一般についてなのか。自分が文章にしたい何かを見つけるのが、これからのテーマになるかもしれない。それを見つけるために、気が向いたら文章を起こしてみよう。