7月2日(日)

6月30日(金)に左側の親不知を上下ともに抜歯した。下の歯を抜くのに30分ぐらいかかったのには恐怖したが,意外と抜歯後については痛みも強くなくて,出血もほとんどないので安心している。しかし,また1ヶ月後に同じように右側を抜歯しなければならないことを考えるとひどく憂鬱だ。自ら体を傷つけに行くようなものなので,ジェットコースターやお化け屋敷よりもよっぽど恐怖体験ではあるが,世の人々が親不知の抜歯をそこまで大事として取り扱っていないのが,やや不思議な感じがする。

親不知の抜歯のダメージを理由にここ2,3日はほとんど1日中ぼんやりと過ごした。何ら生産的なことはできていないが,そこに何か罪悪感も感じていなかった。夜になって少しずつ焦燥感のようなものが出てきて,それでも何か前に進むということもできなかったので,反省文としてこの文章を記している。

最近は忙しいのか忙しくないのかもよく分からないが,恐らく忙しいのだと思う。この職業に就いている以上仕方のないことではあるが,しなければいけないタスクのジャンルが多くて,頭の切り替えが追いつかない。私の脳は一点突破型で,気合を入れれば常人よりは速いスピードで仕事をこなしていけるが,違うジャンルへ切り替えるのに時間とエネルギーを消耗してしまう。特に先週は不在者が多く,その処理をしなければならないということに膨大な時間を割いたことは,かなりストレスフルな経験であった。こちらも善意でやっていることなのにもかかわらず,イチイチ文句も付けられ,厄介である。

私はトラブルが起こらないように苦手な人種とはできるだけ関わらないようにしているが,しかしながら私にとって苦手な人種というのはその逆をいくからこそ私にとって苦手なのであって,お互いに波長が合わないことは分かっている癖に私に絡んでくるのだ。私にも多少の非があることはあるが,そもそもの原因を作ったのは向こう側なので,イチイチ文句を言うのではなく,少しぐらいはグッと我慢すればどうなのか。

イライラすると,その原因に頭のリソースが割かれてしまうのはすごく腹立たしいことで,ワインでも飲んで気を紛らわしたいところではあるが,抜歯後からまだ日が浅いので控えている。明日から飲もう。

とりあえず明日からは本格的に私の本領を発揮すべき仕事が始まる。余計な仕事も多少くっついているが,まあそこらへんはグッと堪えてやるしかない。

1月10日(月)

何となく文章を書いてみたくなった。

今の職業において、まともに文章を書くことはあんまりない。書くとしても無機質な報告書か忖度に塗れたレポートぐらいだ。自分の思いを論理的に積み上げるということがなくなってしまった。助詞や接続詞を気にしながら、文章の美しさを吟味しながら、そうやって文章と格闘することは無くなってしまった。

そもそも文章として表現したいことも特段ない。怒りや苛立ちは相変わらず日常生活を支配しているが、その怒りや苛立ちは日常に組み込まれてしまい、文章を書く動機になるほどの強さを持つことはない。何か自分がこれを成し遂げたいと思うこともない。正確に言うと、何かを成し遂げたいと思いたいとは思っていえるが、何を成し遂げればいいのか皆目見当がつかない。

恐怖はある。このまま特に何も成し遂げずに老いて死んでしまうのではないかという恐怖。自らの悪事を密告されてしまうのではないかという恐怖。恨みのために危害を加えられるのではないかという恐怖。恐怖するタネを自分がばら撒いているのが結局悪いのだが。とりあえず何となく怯えながら生活していることは確かだ。恐怖はやはり一番自分にとっては嫌な感情であることは間違いなく、これから逃れるために時間が経つことを待ってしまう。そのために、何もしない無為の時間が休日は多くなってしまう。

カネの心配もある。毎月のように大きな赤字を生み出してしまうのが不思議で、今月から改めて家計簿をつけ始めた。今まで、というか特にここ数ヶ月は給料がどれぐらいかも特に考えずに欲しいものは買ってきていた。家計簿をつけることによって、ここ数ヶ月の自分が恐ろしくなった。1月もまだ3分の1ぐらいしか終わっていないが、すでに黒字化達成の見込みはない。天引きで落とされている貯金を引っ張り出す必要があるし、そこから少しは投資に回して殖やすことを考えていかねばなるまい。今のところは50万ほど引っ張り出して、30万ぐらいを投資に回そうかと考えている。種銭として少ないことは重々承知しているが、まあ仕方あるまい。但し気をつけないといけないのは、車検と保険である。保険は3月のボーナスで何とか賄えるとして、車検はどれぐらいかかるのかが読めない。前回のように20万近く取られるのでは、とても持たない。

今まで投資に薄っすら興味はあったものの、忙しさに感けて逃げてばかりいた。そろそろ30歳になる。流されることが自分の人生のモットーとでも考えていたが、そろそろ流されることにも不満が出てきた。逞しさというべきものを身につけるためにも、敢えて激流の中で踏ん張ってみたいし、それには考えるということが必要だ。車検がどうなるか、それ次第によって、投資に対して動き出してみたいと思う。

 

何かを文章として残したいという気持ちはある。しかし、その何かがわからない。世界史についてなのか、政治哲学についてなのか、教育一般についてなのか。自分が文章にしたい何かを見つけるのが、これからのテーマになるかもしれない。それを見つけるために、気が向いたら文章を起こしてみよう。

3月22日(月)

やはり丁寧さを欠くと,脳は途端に動かなくなってしまうようだ。手早く書いた方が脳が動くのかなと思って,今日は朝からチャッチャと手書きすることを意識したが,全く脳が働いてくれなかった。もしかしたら午前中は閑職に追いやられてしまっていたというのも何か影響しているのかもしれないが。今日は周囲がガヤガヤしているということもあって,なかなか集中できず仕舞いで,特に生産的なことを成し遂げられていないということが何よりも残念である。とりあえず明日で来年の人事の陣容が何となくわかるということで,明日も朝からソワソワするだろうことは間違いなく,とはいえそんななかでも部活動関連で必ず処理しておかなければならない業務はあるので,朝に落ち着いて書字でもして,タスクを確認しておこう。

今日なんかは成績や進級に関する会議があったが,こういうのに出席する度に,起立性調節障害というものがどうにかならんのかという想いになる。私自身も朝がかなり弱いタイプなので,少し前までは遅刻せずに出勤するということが本当に精神的に消耗する行為で,起き上がることが本当にツラかった。だから,こうした起立性調節障害で学校になかなか登校できないという心情がよく分かるのだが,悲しいのがこれに対して有効な解決策が未だ学校現場では見いだされていないということだ。自分の体感だが,自分が学生の時よりもそういう生徒は増加しており,これへの対処を見つけられなければ,不幸な人間が増えていくのみだ。自律神経が何かしらうまくいっていないのだろうが,その自律神経がうまくいっていないのも,これが遺伝的なものなのか,環境的なものなのか,ストレスに起因するものなのか,何か原因が一つでも分かれば色々と試せることもあるのだろうが,そういうわけでもない。だから,起立性調節障害の生徒はただただ自責の念を抱えながら登校できず,そして学習成績も振るわず,不幸なスパイラルに陥ってしまう。根性でどうにかなるのなら私もハッパぐらいかけるが,そうではないからこそ,むしろ根性でどうにかしようとすればするほど自責感を増長させてしまうので,私にはどうすることもできない。本当にお医者さんに行ってもらうしか私にアドバイスできることはない。

そういえば今日で私が担当する生徒の大学入試が終わった。色々と反省すべき点だらけで,来年度からに活かしたいとは考えているが,そもそもまだ来年度がどうなるのかがわからない。早く分かった上で準備を進めたいのだが。。。

3月21日(日)

昨日は高校の同級生の結婚式だった。いよいよこの年齢にもなってくると,結婚式に出席できるような人間は家庭を持つようになってきている。ぼんやりとした焦りのようなものはあるが,それに対して何か行動を起こす気にはなれない。まだ一人でやりたいことが多すぎる。とはいえ,気づけばよほど年収がなければ結婚が難しいような年齢になってしまうかもしれず,どうすればいいのか人が結婚するというニュースを聞くたびに戸惑うようになってしまった。

1年ぶりぐらいに酒を飲んだ。最近はそこまでストレスもたまっていないし,睡眠時間が著しく短いというわけでもなかったので,すぐ気持ち悪くなることもなかったが,やはり長時間経つとだんだん胃が気持ち悪くなった。最後のソルティドッグもギリギリだった。今後の人生をどう生きようかという戸惑いや胃の気持ち悪さを忘れたいという気持ちに突き動かされたのか,昨晩は2時間も歩いて帰るということを選択してしまった。みんなで話していれば2時間なんてあっという間だったので,Google mapで三宮から自宅まで2時間ほどかかるというのを見て,ちょっとしんどいかもしれないけどどうにかなるだろうという謎の自信を持って歩き始めたのだが,特に後半1時間が大変だった。よくわからない道に突っ込まされるのはともかく,上り坂下り坂がひっきりなしに現れて,ちょっとデカめの革靴で歩いていたので,もう足がボロボロだった。それだけではなく,結婚式帰りなので荷物もそこそこ重く,最悪なことに雨まで強くなっていた。大変だなあと思いながら歩いていると,なかなか時間が経過しない。Google mapを見ながら歩いていたが,どこかで時空が歪んでしまったのだろうかと勘違いしてしまうほど,1分という時間が長かった。ここらへんで寝てしまってまた朝に歩き始めようかと何度か思ったが,意外と思っただけで済んで,最後までひたすら歩き続けることができた。立ち止まるということもほとんどなかったのは,自分がややストイックさを取り戻しつつある兆候かもしれない。そんなこんなの行軍だったので歩いている間はいろんなことを忘れられたが,今こうやって色々と振り返ってみると,また人生の悩みも噴出してくる。

今日は日曜日にしてはそれなりに充実した1日を過ごすことができたが,今までのズボラな自分に苦しめられた。色々と掃除なりをしていたが,それに大幅に時間を取られてしまった。とはいえ,今年の目標の一つである「すぐ引っ越しできるぐらいに整頓した部屋」というのに少しずつ近づいてはいる。本棚とかクローゼットが少しブラックボックスではあるが,それ以外はなんとなく目星がついている。あとはゴミ出しの日を忘れないようにできれば良いのだが。

 

3月19日(金)

そろそろ早起きが定着するようになってきた。最近は8:30に職場に到着すれば許されるので,8:28ぐらいとかに着いて冷や汗をかいていたものだが,今日については7:30過ぎに到着してしまった。他の人が行事で不在だったということもあって,職員室がそもそも開いていないという事態に久しぶりに遭遇した。明日は友人の結婚式だ。今までは何にしてもギリギリで準備してきて,そこそこ汗ダラダラになりながら登場したものだが,明日は爽やかに余裕を持って大人として参列したいものだ。

昨日から引き続き東大の大論述にチャレンジしている。このブログかどこかで,東大世界史の問題自体は難しくないが……と大言壮語してしまったが,撤回させていただきたい。ちゃんと東大の世界史は難しい。特に大論述については,表層的で上っ面の知識しかないという状態だと,とても対処することができない。ちゃんと教科書を読み込んで,その裏側を貫くストーリーを理解できるかどうかという非常に高度な理解能力が要求されていて,なおかつ問題文の要求に合わせて自分の知識を開陳するという高度な表現力も必要とされる。設問の要求に対して,思い出すべき知識がそもそも多いことから,普通に世界史の知識も入れておかなければ勿論勝負にもならない。そういったいろんなことを踏まえた上で,社会二科目が二次で必要とされるということまで考慮すると,やはり東大文系に合格する人は少し異様であるように感じる。そして,そんな東大文系出身者が多い官僚が最近愚行を犯してしまいがちなのは,どういうことなのだろう。月並みな言葉だが,机上のお勉強と天下国家を運営するのに必要な能力は異なるということに集約されるのだろうか。実際に官僚と面と向かって話をしたことがないのでわからないことだらけだが,あれだけの情報処理を高卒の時点でできるということは,本当に使いようによってはかなり輝かしい結果を残せるのではないだろうかと思っている。一方で,多忙であったり何かしらであったりで官僚が最高のパフォーマンスを発揮できていないということなのであれば,我々も多忙やストレスで大きくパフォーマンスが制約されてしまうということを理解しておかなければならないし,そうしたストレスをうまいことを回避するのも大人として大事なスキルなのだろう。

最近は勉強することが徐々に趣味になりつつあるが,同時に少しずつ運動もしていかないとお腹に色んなものが溜まり始めている。頭はかなり使っているはずなので,カロリーは消費しているはずなのだが。。。

3月18日(木)

ウチの職場の人事というのは複雑奇怪というべきか、何というべきか。そろそろ経営責任が問われるレベルで不味い事態が起きている。こちらが損失を被ってなんとかなるのであれば不幸中の幸いとでも言えるのだが、顧客にとって大きくマイナスをもたらすレベルでの不祥事であり、ほとんどのことは笑い飛ばしてきた私ですらもう笑えない。職業柄、泥沼の状況に陥っている人々を救うのが私の使命とでも思っているが、残念ながら私が飛び入ったところで邪魔者になるだけなので、ただただ側から傍観する以外にないが、ただただ心配だ。経営陣には経営陣の考え方があるのは勿論理解はできるが、経営者の都合で散々引っ掻き回した挙句に最悪の状況が生まれているのだから、たまには自分の非を認めるぐらいのことはしたほうがいいのではないだろうか。自分の非を認めるというのは経営者にとってタブーのことなのだろうか。私には大人の世界がよく分からなくなってきた。

一方で、新人の職場案内を本日担当した。新卒のかわいらしい男の子で、将来性溢れる人物だった。私よりもよっぽど勉強をしてきているので、最初は戸惑うだろうが、なんとか一人前にさせてやりたい。この職業というのは段々と人気がなくなってきており、そして特にウチの職場は大変なことで有名である。ただ、それでも顧客が途切れることはないし、そんな彼らが卒業した後にまた帰ってきたいと思える場所にしたいというのが、OBとしてのせめてもの考えである。卒業生にとって誇れる場所にしたい。そのためには立派な施設があってもどうしようもないし、なんなら立派な実績すらもいらない。顧客と真剣に向き合うことのできる人材がいれば、もうそれだけで我々の職業は十分である。しかし残念ながら続々と優秀な人から辞めていく。だから育てなければならない。それすらも叶わないようであれば、もう終わりだ。

今日は初めて東大世界史の大論述にチャレンジした。600字もある大論述を書いたこともないので、構成を組み立てようにも、どれぐらいの規模になるのかが全く予想が付かなかったので、とりあえず書きたいように書いてみた。まだ余裕のある前半はそれなりに的を得たことが書けたが、後半になるにつれて段々と知的体力がなくなってしまい、断片的な文章を並べ立てる状況にになった。模範解答を見ると、600字に一本筋の通ったストーリーが見えた。というか、そもそも問題文にこういうふうに書いて欲しいというストーリーのヒントが記されていた。散々自分が担当する論述の講座では問題文から解答を組み立てろと指導してきたにもかかわらず、自分自身はそれをできていなかった。今後東大世界史を教える機会はそうそうないだろうが、ちゃんと取り組むことで自分の世界史力が上がるだろうことが明確に感じられるので、このままタフな旅をできるところまで続けたい。

3月17日(水)

意識的にガリガリapple pencilを使って手書きをするという行為が今日も恒常的にできたのは非常に良かった。今までなら家に帰っても結局何もできなかっただろうな、という時間に東大の問題を解くことができた。時間的には目標解答時間の倍ぐらいかかっているような気もするが、何度も何度も解いていくことによって、少しは書くスピードも早まるかもしれない。ただ、今私の中で重要視しているのは書くスピードというよりも、丁寧さである。思考のスピードに合わせてペンを走らせることは簡単であるが、自分で自分をコントロールするという感覚を身につける上ではあまり効果がないのではないか。だから、今やっている東大世界史の問題というのはあくまで手段であって、今私が大事にしなければならないのは、自分で自分をコントロールする感覚を身につけるということである。現段階では段々と頭で考えていることが面倒くさがらずに実行できているようにはなっているので、少しずつ改善されてきているということだろう。ただ、問題なのは、これはまだ2日目であるということだ。明日は普通に続けることができると思うが、土曜日は行事があるので、それで習慣が崩れてしまわないか少し心配だ。

今日は櫻坂46のBANのMVが発表された。ラジオ音源の段階では印象に残らない曲だったが、パフォーマンスと合わせると疾走感に圧倒された。オタクらしい分析については、どうせ誰かが張り切ってやっていると思うので控えるが、それにしても森田ひかるは魅力的だ。あの妖しい笑みにはもう降伏せざるをえない。ここ1年で坂道への愛情が復活して、推しメンを求めて迷走していたが、「推しメンはこの子以外いない」と改めて思わされた瞬間であった。ミーグリも申し込もうか迷ったが、やっぱり生で会ったときの衝撃を大事にしたいという気持ちもあるので、握手会が復活するまでは少し我慢していよう。

来年度のことについて少しずつ構想していきたいとは思っているが、なんせ来年度のことがわからないので、どうしようもない。今はそれなりにモチベーションを取り戻しつつあるので、その勢いを利用してなんとか良いスタートを切りたいものだが。。。まあウチの職場というのはそういう職場であるということは前々から理解していたが、やはり働く者にとっては少しやりづらいところもある。自分が上に立つのはいつになるのかは分からないが、その時は少しでもそういったところが改善できればと思うが、その前に自分が上に立ったとして、そこまでの余裕があるのかどうか。もちろんそんな余裕を作り出すことは厳しいことは重々理解しているが、少しでも人様の役には立てるように、今から自分でできることはやっていこう。それしかない。