1月25日(月)

今日は逆転人生という番組で特集されていた西成高校の反貧困教育にえらく感動した。

自分自身、教員になったキッカケというのが、全然勉強ができない同級生に勉強を教えて感謝されたことからだ。そこで、今まで教員に相手されなかった子たちでも「学びたい!」という強い欲求があったということに気づいた。面倒臭かったが、「無意味な自分でも何か社会の役に立っている」という自己肯定感が得られたし、だからこそ私はこの職に就いてしまったのだと思う。

現代日本の教育制度では、複雑な家庭環境出身の子供たち(ここでは敢えて「底辺」と呼称するが)というのは、様々な理由によって無碍にされてきて、学ぶ意欲を人為的に奪われてしまっている。努力しても無駄だと思わされてしまっている。だから彼ら「底辺」にとっての最大の敵は無力感であり、彼ら自身がそれを認識していないことに最大の問題が存在する。

西成高校の先生方が、素晴らしかったのは、彼らに学ばせることを諦めなかったことだ。彼らをちゃんと高校生として教育しようとしたことだ。高校に来させる、というだけならば、何かしら楽しいイベントでも開催して、居心地の良い学校を作ればそれで良かったのだ。しかし、西成高校の先生方はそうしなかった。「反貧困」という、ややもすれば、彼らにとっては非常に過酷な、あまりにも地味な教育を行った。ちゃんと相手を高校生として教えるべきことを教えていたし、彼らも教員から必死に学ぼうとしていた。

それ自体が素晴らしかった。美しかった。これがやりたかったことだと心から思った。

たまたまTVで見た番組だったが、この職業を全うしていく上での大いなるヒントをもらった。人を諦めない、ということ。少し教育に絶望しかかっていたが、諦めずに行こう。そうすれば何か良いものが見れるかもしれない。